どうして自分を過小評価するのかと言われた話

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忘年会の時に、「おじさん(私のこと)って自分のことをできないエンジニアであるふりをするけど、どうして?」って言われたのだが、いざどうして自分がそういうふりをするのかを言語化しようとしたら難しかったので、時間をかけて言語化してみた。

ぶっちゃけ自分はできないエンジニアではないと思っている

まず「できる」「できない」の定義だが、ここではしない。 いろんな人と比較されて「できない」側の人間として扱われてきた自分にとってその定義は考えたくない。 「できない」の定義は人を傷つけると思うのでしたくない。 なのであくまで読者の感覚的な尺度で解釈して欲しい。

自分はいわゆる別業種からの転向組で、エンジニアとして働き始めたのは 2018 年なので今年で 5 年目エンジニアだ。別業種からの転向ということでコンピュータサイエンスを大学で学んだ者・小学生の頃からバリバリやってきた者・新卒でエンジニアになって研修や先輩で育ててもらった者と比べると圧倒的に遅れていたので、「僕は本当にまだまだです」「駆け出しエンジニアです」と本音で思っていたし、周りにもそう言っていた。

が、5 年経った今、さすがに自分のことを駆け出しエンジニアとは名乗れなくなった。5 年目としての実力も要求されるような重圧も感じたりする。そして実際 5 年分の知識や能力は身についていると思う。 自分は駆け出しエンジニアではないと思うし、できないエンジニアでもないと思う。 ただ自分は人と話すときは、自分のことをできないエンジニアだと表現すると思う。

自分ができないと言う理由

本物のエンジニアとの壁を知っているから

自分が成長していくにつれて相手との実力の差が分かるようになって、努力で追いつける部分、努力しても追いつけない部分があることが分かってきた。

「できる人」は有名 OSS のメンテナをしていたり、限界までパフォーマンスチューニングを極めていたり、何を質問しても即時に回答してくれる(いま頭の中に思い浮かんだできる人の像をここに書きました)。 じゃあ自分はと言うと OSS はドキュメントしか直さないし、公式ドキュメントに書いてあることしか・自分がやらかした大失敗しか回答できないといた感じだ。

自分が彼らのようになれるかと考えたらやっぱりなれないと思う。 実際に彼らと話してみると積み上げてきたものが圧倒的に違う。 幼い頃からコンピュータを触って、学生の時から知識や成功体験を積んで、社会に出てからも経験をたくさん積んできた人たちだ。 5 年程度ライブラリの API を呼び出してるだけの人と比べると全然積み上げているものが違う。 もちろん彼らの努力や才能といったものもあるだろうが、そもそも積み上げてきたものが違いすぎて追いつけないと感じた。

もちろん自分も勉強しているので追いつけているのだが、どうしても追いつけないときがある。 勉強したことにより実装はできないけど人に説明できることが増えていてそこは自分の実力の上限値だと今は思っているのだが、その上限値をもってしてもその人にとっては簡単な部類というのはよくある。 自分ができるようになったと実感した自分の上限値部分で、差が縮まっていないことを見せられるとやはりそこに壁があると思う。 もしかしたら努力で越えられるのかもしれないが、これまでの努力の量を知っているからこそ、これ以上を求められたらと考えたら流石にやる気を無くす。 だからここに自分の壁があるのだと思う。

一説によるとそもそも「努力」と感じている時点でエンジニアに向いていないらしい。 そんな気は少しする。

「できる」と言うとバカにされることも分かっているから

自分のことを「できる」と言って許される人と許されない人がいると思う。どうしてそう思うかと言うと、自分のことを「できる」と言った時に、「あの程度で自分のことできると思ってやがる w」的なことを言う人を何人も知っているからだ。きっと「自分はできるエンジニア」とツイートして、鍵垢引用 RT されていたらそういうことを言われていると思った方が良い。よく流れてくるし心が抉られる。普通の引用 RT でも流れてくるときはある。迂闊なことはツイッターで言わない方が良い。自信満々に間違っている情報を発信している人に対する反応なども見ると心が抉られる。

自分は基本的なことができるエンジニアだと思う

自分は希少なスキルを持っているわけではないと思うし、これから身につくこともないと思っている。だいたいこう言うことを言うと「諦めるの早すぎ」と言われるのだが、そりゃお金・時間・師などに恵まれると可能だろうとは思っているが、現実的にそれが手に入るかと考えたら入らないと思っている。

だから自分は基本的なことしかできないエンジニアとして生きていくと思う。 「基本的なことしかできない」と書くと悲惨に見えるかもしれないが、それでも自分が貢献できる仕事や自分への期待は十分にあって全然悲惨ではないと思っている。 ただ自己紹介する時に「基本的なことができるエンジニアです」だと相手からすると「は?」になると思うので何か専門性が欲しいところである。なので「できるエンジニア」になることを目指さないとはしても、なんらかの自分の得意分野を見つけるための勉強は続けると思う。でもそれはできる人を目指すためではなく、趣味である。知らないことを知ることが楽しいと感じられるようになったのは、この職業を始めてよかったことだ。 なのでエンジニアという仕事自体にももうこだわりはなく、 来年は何を勉強する? にもチラっと書いたが、エンジニアを辞めることも視野に入れている。

もうプログラミングなどは自分にとっては趣味という扱いなので、自分のことをエンジニアとすら名乗らないかもしれない。プログラミング愛好家だ。いや、愛好家という呼び方もマニア感があって強い人感が出てしまう。難しい。